並列

昨日飲み過ぎて久し振りに吐いた。

僕の胃袋は排他的である。

ぺろーん。

THE WAVEという映画を見た。

とても面白かった。一時期から有名になった「es」という映画があります。スタンフォード監獄実験という実際にあった心理実験と、それによって起きた出来事を元に作られた作品です。他人を従わせたり、痛みを与えたりするのを正式に許可された場合、人間は何処まで攻撃的になるのかというような、アイヒマン実験の一種です。

そしてこのWAVEというのも実話を元にしたものらしく、これはスタンフォードよりも二年前にあった実験で、「独裁」というのがどのように発生しうるのか、どんなものなのか、同時どうして誰も反対できずあれほどナチスが大きくなったのか、という観点から高校の一つの授業において一週間だけの予定で服装などを揃えていくことから始まって、いろいろと展開していきます。

舞台をドイツ、時代を現代に移してあり、ナチスなどがドイツでどのように捉えられているのかということも見ることが出来るように思います。

この作品何が良いかというと、ものすごく心理描写が丁寧。心理実験を元にした映画なんだからそうあるべきなのは当然なんだけど、それぞれがどのような形で独裁にはまっていくのか、嫉妬、優越感、連帯感、葛藤、従属による安心感、反発されることによる強化、そういうものが誰にでもわかるように説明過多でない範囲でしっかり説明されている。

見ている人はおそらく独裁グループに同調することはないだろうと思う。そんな人いたらちょっとまずいと思うけど、そうでない見ている人が普通に同じ立場として考えることの出来るキャラクターもいてとても見やすい。

現実的な「ファイト・クラブ」といった感じ。ファイトクラブもこういった例や作品をモデルにしていたんんじゃないかなと思う。

なんだかただのレビューだけで日記が終わってしまいそうだ。

改めて意識してみたら、この独裁の形って現代でも完全に通用するし、そこら中にあるものだと認識させられた。

独裁っていう言葉の定義とは違ってくるからなんとも言えないけど、価値観て当然何かに作り上げられているものなわけで、それに気付かず流されているのなんてそりゃ普通なんだけど、個人個人バラバラだと社会なんて統制できないから様々な権利や権力を譲渡してまとめてもらっているという社会契約の基本的な形があるわけで、いやちょっと待って何が言いたかったんだっけな。

この映画の場合は教室というとても小さい単位だから、外から見ていればその集団の異常性には気づける。

でまぁナチスだってかなり規模はでかいわけで、当時の空気を知らない人間からすれば、崩壊したからその間違いなりなんなりを意識できるわけです。

閉鎖されている環境だとまず気付くことは困難だし、その後外界と接しても反発による強化だってある。宗教という同調の単位は日本人にはその違和感が見えやすい分野だと思う。

その独裁じゃないにしろ、同調圧力と価値観の統一化は、当たり前に国家という単位でもある。他国にみる違和感。異常性という言葉があまり適切でないように思ったから違和感にしたんだけど、それもピンとこないな好きに読んで下さい。

国の中にあるそういった価値観を発信する側が作り上げようとしている違和感。違和感もなれてしまえばそれでなんともないもので、良いものかも知れない。価値観とかシステムは崩壊するとダメだったと言われるだけの話なんだけど、周囲のシステムや価値観に同調しないということや、その是非を考えて気にしてしまうと言うのは良いことなのか悪いことなのか。正義か悪か、という話でもいいんだけど、快か不快かという意味でも良いし、生きやすいか生きにくいかでも良いし、楽しいかつまんないかという意味でも良い。

100円のお寿司が美味しいと思う人は幸せだし、3000円のお寿司が美味しいと思う人も幸せだろうが、3000円のしか美味しく感じなくて100円のをまずいと声高に言う人はどうなのかと思うし、100円も3000円も変わらなく感じと言うのもそれはそれでどうなのか。

100円美味しい、3000円もっと美味しい、それがとても素敵なんじゃないのどうなの。

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損、と言う阿呆に言葉の是非を吟味する阿呆、それを二階から眺める阿呆にどれも気にせず寝ている阿呆。

どうせ死ぬなら死ななきゃ損損。

なんの話だったか。

すったかもんだ。しったかぶった。

バッタかばった。河童刺さった。

普通だの異常だの考えることが既に異常ないし無意味か否か。

普通の適応される範囲を限定しないと判断できないような気がしなくもないが結局大抵の場合多数の勝利か、力の勝利になるわけでして、だったら普通かどうかという思考の仕方に意味はなく、まともことに忌みもなく、ん、だったら何を基準にするの、地球全体、人類全体が独裁状態かも知れないけどそれには誰も気づけないかも知れないね、それでみんな幸せなら良いけどそうじゃないし、理想論いっても意味も忌みもないわけだけれど、あー、うん、そんな感じ。

社会や国家のあり方について正解が出ないのはそりゃそうだ、ということにしか気づけない思考の旅でありまして、しかしてそんなこと当たり前に知っていたことだから今更どうしたってな話ではあるんだけど、改めて考えてみたかったりすることもあるのさなんて適当なところに着地すればいいんだきっと。

北方領土の半分返還だなんて話し合いがあって話題になっておりますが、千島の地震を気にしない程度の気持ちで返して欲しいのかねと思わなくもない。

いや、なんていうの、別に批判的な意味合いでもなくて、昼間のベンチに座ってボケーっと何の考えもなく空中に放る独り言くらいの意味合いしかない言葉だけどさ。

チェ・ゲバラのチェが名前じゃないのは知っていたけど、カーネルおじさんカーネルが名前じゃないとは知らなかった。いやもしかしたら知っていたかも知れないけど。

五月朔日の物思い。