桟橋

7回転んだ。北海道に帰ってきて二日間で七回も転びました。

こっちに住んでいた頃は一冬の間に一回転んだ、俺まだ今年は転んでないぜ、なんて話をしていたくらいなのに、二日で七回である。寂しい。もう自分は北海道の人間ではないんだなぁとしみじみ実感したものである。

それに受け身も身体が覚えていない。僕は昔から手袋をはかないし(方言)、凍った雪道はツルツルザクザクなので手のひらをつくとそれはもう冷た痛いわけである。勢いもなかなか凄いわけなので肘をついてもかなり痛い。

だもんで、他の人もみんなそうかは知らんのですが、肘から手首にかけてを面でつきます。なんていうの、一の腕とかいうの?二の腕って肘から肩だよね?まぁなんていうかわからんけど、そこをつきます。しかし今はそれすら出来ない。肘も手も痛い。寂しい。

なんて思っていたら三日目からもう転けません。

身体って凄いね。すぐ思い出したみたい。ツルツル道

を走ってももう大丈夫。てへ。

数年ぶりのまったりとした帰郷、と思ってから、ふと疑問に思う。

私の家は何処なのかしら。ホームは。ホームとアウェー的な意味での。

北海道には帰るというか、行くイメージだったような気がする。いやどっちでも可能だな、思いたい方に思うことが出来るように思う。

沖縄にも行くイメージ。東京にも横浜にも行くイメージ。

何処にでも帰ろうと思えば、○○に帰るよーって言えば帰れるからホーム?○○に行くよーって言い方をすれば何処でもアウェー?いや別にアウェーって言い方するほどのことでもないんだけどね。

助手席から猫なで声で話しかける父親と、それに対して傍若無人に振る舞う運転手の三男。それを後部座席から傍観するわたくし次男。この家はどうしてこんなことになってしまっているんだかねぇなんて完全な他人事。正直なところ完全でもなんでもなく他人事じゃなかったりすると実感しているが故の曖昧な感情なんでしょう。

傍若無人に振る舞いながらも三男は父親と接する時間のことを「接待」と呼んでいたりする。僕には弟が接待されているようにしか見えないのだが、それを言うと本人はいやがって俺が接待してやってんだと言った。まぁそんな気持ちの悪い親子関係をどうしたものかと前述の通り傍観している気になっているのである。

母親やら長男も今は大変そうである。大変というか。

幸せではなさそうというか。なんだろう。

いつまで自分は傍観者を気取っているのかしら。

おそらく父親はそう長くないのではないかと思う。

別にここ数年で亡くなるという訳ではないにしろ、10年後にはいないだろうなという程度の「長くない」でしかないとはいえ、父親にもそれはわかっているのだろうなぁと思うと、ここ数年で終わっていく己の人生と、取り巻く環境やら周りの人間やらのことを今現在どう考えているのだろうかと、特に得にもならないしさほど興味があるわけでもない事柄だが、何となく知りたくなる。知りたくなると言うか勝手に想像したくなる。

まぁ面倒くさいからしないし、20年以上バリバリ生きているのかもしれないけれどもね。

1000字制限短いんですけど。

でもこんな話はこれくらいの方が良いのですたぶん。

毎日何事もないのに書くことなんていくらでも出来るものだ。

あ、RFCの人しかわからない話ですが、

四月五日に夜景の達郎と飲む予定でありまする。

とりあえずのお知らせまで。

したらばしたらば。