石橋

ラジオ体操がしたい。ラジオ体操がしたい。

別に体育の時間の前にする準備体操を懐かしんでいるのではなく、

別にただ単に今部屋の中で体操の音楽をかけながらしたいのではなく。

朝早く起きて、公園まで行ってするラジオ体操がしたい。

夏休みにスタンプを押してもらえるラジオ体操がしたい。

あの面倒くさいようで、実はそんなに面倒くさくなくて、

でもやっぱり行ってみたら結局面倒くさいラジオ体操に行きたい。

ダラダラ公園に向かうんだけど、朝日は気持ち良くて。

着いたら友達と眠たい顔しておはようなんて挨拶して、

今日はあいつ来てないね、起きれなかったんだな、なんて言って、

一応体操はするんだけど、ちょっとばかり手を抜いた感じでやって、

列に並ぶのは嫌なんだけど、スタンプは欲しいから結局並ぶ。

スタンプをもらったら、ご飯食べたらここに集合ね、なんて言って、

何をするかは決めていないけど遊ぶ約束をして、さっさと家に帰る。

いいね。いいな。いいよね。そうだよね。

久しぶりに人とまともに話をしたんですが、

やはり会話とは非常に素晴らしいものだと思う。

そして、夜もまた素晴らしい。朝日とは全く違った良さ。

夜が来なければ、誰も会話なんかしないんじゃないかと思える。

そんなことはあり得ないんだけど、或る意味確実に言い過ぎではない。

きっと誰でもこの意味はわかると思う。わかると思います。

白夜なんてたまったものではない。

いや、白夜ならずっと会話ができるのかな。見たこと無いからわからないや。

最近はほとんど朝日に出会わない。

だいたい毎日シルエットの時間になってから寝て、

いつも太陽がスターリンから離れた後に目覚めるから。

諸々の変化が、変革が起こっている気がする。

気がすると言うのは、本当のところどうか分かるのは時間が経って、

それを思い出してみた時だろうと思うから。そう言うのです。

「石橋を叩いて渡る」なんてよく言う。いや言わない。聞く。

いや、むしろ聞きもしない。言うんだろうなと思っている。

「石橋を叩いて壊す」なんていう冗談も聞く。あは。

でもどっちもなんか嫌。渡りたいし、戻りたくないし、壊したい。

慎重になんて嫌だし、逃げられないようにしたい。弱虫だから。

だから「石橋を渡ってから壊す」。そんな感じが良い。

そんな感じが良い。ケ・セラ・セラ。

ケ・セラ・セラってスペイン語だったんですね。

何となく意味は知っていたけど、何語かは気にしていなかった。

なんでなんでしょうか。まぁ、んなこたぁいいか、ケ・セラ・セラ。

そういえば、こないだ気づいたんですよ。

いやもしかしたら何かで知っていて、

ただ単に忘れていただけかもしれませんが。

善だとか、悪だとか、正義だとか。いろいろいろいろ。色いろいろ。

あるじゃないですか。じゃないですか。ですか。すか。

仏陀とかね、ブッダ。あれです、唯我独尊の人です。

猫かぶった豚ぶった仏陀。そんで豚ぶった仏陀ぶった知ったかぶった豚。

猫かぶった豚ぶった仏陀ぶった知ったかぶった豚またぶった仏陀

その仏陀かばったバッタを知ったかぶった豚がぶって、

そのかばったバッタがばったばったとね、死にましたとさ。

ええ、言いたいこととは直接の関係は無いです。あるけど。

善だとか悪だとかの定義によりますが、

どんな行動も全て、その内に悪を孕んでいるとかいないとか、

そんなことを言った人がいたとかいなかったとか。そんな感じ。

そんでもってもし行動が全て悪の可能性があるのであれば、

それこそ「生」自体がなんちゃらかんちゃらつって、

頭くるくる暇だったから回してたんですよ。一人寂しく。

そこで話は戻るんですけど、気付いたんですよ。ね。

何に気付いたかというと、非常に申し訳なくなるくらい下らないことです。

生存するだとか暮らすって意味の「Live」。

逆から読んだら「Evil」。悪いとか邪悪になっちゃうんだねって。

「Evil」

いや、それだけなんですけどね。本当に下らなくて申し訳ないです。

下らない人間で申し訳ないです。下らない人生で申し訳ないです。

でもやっぱりこのエレベーター下らないんですよ。どうしても。

本当に。本当に下らないんですよ。いくら頑張ってみても。

だからもうね、上りっぱなし。もう本当に、本能的に。

見えなくなりますよ。きっと、そのうち。空にはまだ名前が無いからね。

降りたきゃ自分でって、そういうことらしいですよ。

本当に不親切です。本能的に。上りっぱなし。昇りっぱなし。登りっぱなし。

あはは、あはーは。お休みなさい。

ケ・セラ・セラ。