浪費

浪費、というタイトルの日記を今まで自分が何度書いただろうか。

以前流行ったオレンジ色のSNSだったりなんだりで僕はよくこの二文字を書いている。それは何故かというと端的に僕がしょっちゅう浪費をするからというだけの理由であり、そしてまた要するに己が浪費していることにはちゃんと気付いているということである。それでいったい何を浪費しているのかといえばそれは僕の時間に他ならない。

僕は本当に心から何もしない人間である。自分でも驚かざるを得ない。人生の4割くらいは浪費でできているんじゃないかな。僕が人生で最も行った行動は?と聞かれたら正解は浪費なんじゃなかろうか。なにもしていないことをしているという哲学的な生活スタイル。無意味の権化。今何してんの?と聞かれたら、屁理屈覚え初めの小学生よろしく「息してる、心臓動かしてる」とかそんなような回答しか出来ない。

しかし、今後自分が何かを成すことがあり、「これは偏にあの堕落した生活があってこそのものでした」と思えるのだとしたら、それは途端に浪費ではなく意味があったということに出来ちゃうんじゃないだろうか。素晴らしい逆転ホームランである。なんつっても僕はそもそも打席に立ってないしバット持ってもいないけどね。

逆に、単純に言えばそれとは反対に全てが浪費だったことにも出来ちゃうのである。人生100%無駄にしましたおやすみなさいパターン。

いや待てよ。浪費ってのはさ、何かしら有効に使えるはずだったものを無駄に消費してしまうことを言うんじゃないのかな?とすると己の時間が有効に使えるかどうかの保証も無いのに「浪費」とするのは思い上がりじゃないだろうか。元よりどうやっても使い物にならないゴミだってあるだろうさ。とすると僕は浪費していない。その場合僕は何をしているの。何にもなり得ないものをただ消費している様。なんていうのこれ。とりあえず消費?ないし消耗?かな?

消耗ってよく「本来は読み方違う漢字」にあげられてるように思うけど、これをリアルで「しょうこう」って言う人に会ったことがない。知ってても通じないだろうから「しょうもう」って読むし。ね。関係のないお話でした。

したいこともするべきこともできることも無い私です。

最近したいことも消滅しましたので、本格的にどうするべきかと頭を悩ませております。いや悩ませてないなあんまり、悩ませるべきだなと思っております。

先延ばし案として採用した世界一周も達成せずに帰国。そのちょうどいいタイミングで面倒ごとに絡まれ、でも絡まれつつも今の家を離れなければならないという理由もありありでなんじゃらもんじゃら。全部めんどくさい。そもそも世界一周に出発したのは家に居たくないというだけの理由でした。忘れてたわ。家に居たくないから沖縄に行って、家に居たくないから東京に行って。でもなんだかんだ嫌になって家に一旦戻って、戻ったら戻ったでやっぱ嫌だし行くと来ないから世界一周って名目掲げて逃亡。そんな感じ。

時々「行動力あって良いよね」なんて言われたりするけど僕はそんなもの一切持ち合わせていない。行動力っておそらく何かしら目的に向かって困難を越える力でしょ?僕のは常に一番楽な選択肢を選びながら逃げる力なので行動力ではないのです。逃亡力?何処までも逃げます。

なのでたぶん修理しているカメラが直ったらその子持ってまたどっか逃げます。

もう金も尽きたのであれだけど、どっか行きます。