青年

先日24歳になりました。

メッセージやメールなどくれた方々有難うございました。

知らぬ間に24歳です。

23歳の誕生日が一年も前だという気が全くしません。

24歳。「青年」と呼ばれる最後の歳。

23歳の次で25歳のひとつ前。

6歳の四倍。12歳の二倍。

小学校卒業時から12年も経ったのかと思うか、

はたまたまだまだ12年しか経っていないと思うのか。

なんにせよ自分は彼らの2倍生きているのである。

そりゃ干支も二周目突入するってもんだ。

年々一年間が短くなる。

経験の中に繰り返しが増えるからなのか、

生まれてから今までの時間に占める一年の割合が短くなっていくからなのか。

小学校の6年間と、中高合わせての6年間だと、

圧倒的に小学校6年間の方が長かったように感じる。少なくとも自分は。

それは12歳に対しての6年間、つまり人生の二分の一と、

18歳に対しての6年間、つまり三分の一、

というように変わっているからなのでしょうか。

じゃあ今の僕の一年間は12歳の時の半分しかないのか。

あらま。

と思ってふとこの考え方をちょろっと調べてみたら名前が付いていました。

ジャネーの法則」ですって。

別に自分が初めて考えついたものではありませんでした。

ジャネーの奴め。

俺よりちょっと早く生まれたからって良い気になりやがって。

けっ。

なんかよくわかんなくなったけどまぁ時間を大事にしよう。

ジカン、ダイジ、絶対。

あと三か月で一年終わってしまうけどね。

でも年度で考えるとまだまだあと六か月、約半分もあるから安心じゃないか。

ね、こういう考え方がたぶん自分の悪いところだ。焦れ。

ははは。

誕生日の一日前、三年か四年ぶりくらいに父親と会いました。

対面した瞬間に感じる時間の経過。以前よりもかなり小さく感じる。

髪も髭もかなり白くなっている。目元が良い意味か悪い意味か、落ち着いている。

弟にも会った。彼は相も変わらず果てしない馬鹿である。

この年になって気付く。

身近にいる人間の中で、僕の持てる知識や経験を全て解放し、その全力で持って説明なしに会話できる唯一の人間が父親だった。改めて凄まじいものがある。

普段だと例えば哲学について会話をするなら、専門の人間でないと逆転スペクトルクオリアという単語を説明しなければ話さなければならないし、映画などについてだとフィリップ・K・ディックジョン・フォードなどを説明なしに言って通じる人は少ない。

しかしその必要が無い。

焼肉を食べ、ビールと芋焼酎を飲みながらただのんびり話す。

最近観た映画、アニメの映画作品、日本アニメの流れ、脚本、原作、ライトノベルと言う媒体、告白批判、小説について、ユゴーシェイクスピア、文学と市場、求められる作品、ザ・ロード、比喩表現と映像、自分と外界の干渉の在り方、生きている現状、死のとらえかた、観念論、クオリアラプラスの悪魔、思考、フィリップ・k・ディックブレードランナー、捜索者、ジョン・フォードアクターズスタジオアル・パチーノ、メソッド演技法、食というものの在り方、ヴィンセント・ギャロギムレット壊血病、ラム、アレキサンダーアリストテレス、卒論、年金、政治、歴史、、、、

こんな感じの内容。繰り返したり戻ったり。

くっだらないジョークを挟んだり、それを弟と一緒に無視したり。

しかしその中で感じると手を抜かれている感。悪い意味でなく良い意味で。

馬鹿にされているのでもなく、教えられているのでもなく、

なめられているのでもないが、ある程度自分に合わされている。

それが何よりも悔しい。そして相手に説明をさせてしまう始末。

当然と言えば当然だが、知識の量でも経験の量でも到底かなわない。

考察の力にしても語彙力にしても、あらゆる面で届かない。

話題の大部分が父親から影響を受けたものや今まで話した事のあるものではなかったはずなのに、それらがほぼ全てが既に相手の知識の中にあるという事実。改めて感じる。考え方や嗜好、選択が自分と父親はおそらくかなり似ている。ただ圧倒的に違うのはこの人は生きる、生きている、ということに疑問をあまり感じていない、という点か。なんか説明しづらい。聴く音楽も。文体も違う。実はやっぱりいろいろ違う。其処からさらにいろいろ考えさせられる。

そして弟もこの話題の大半についてくることができるという驚き。

むしろ弟と父親の会話についていけない時があると言う驚き。敗北感。

ここ数年弟は父親にくっ付いてかなり成長しているようだ。

彼に圧倒的に足りないものは語彙力だろうと思う。

ちょっと本気を出さないとあの坊主に抜かれそうなので頑張ろう。

父親の作品はついに来年アレにもなるそうなので、

今からダッシュしまくっていつか追いつかなくてはならない。

何にしろ、

ここ数年でトップレベルに面白い会話だったのは間違いのない事実。

ああ。いろいろな自分の感情などの変化に、

自分に対して自身がもう子供ではないなという印象を感じ始めている。

24歳。

去年の誕生日にも同じことを書きましたが、

「自分は狭く完結する人間関係の範囲でとても恵まれている」

去年はどんな気持ちと意味でこの文章を書いたんだっけな。

今年はこんな気持ちで書いているのだよ。来年の自分よ。はっは。

今知りあっている方々、これからもよろしくお願いいたします。

これから知りあう方々、これからよろしくお願いいたします。

よろしくなんて普段言わなくて良いような人も、

改めて、今年もこれからもよろしくお願いします。

本当にいろいろ人間関係充実しているけれども、

そろそろ可愛い彼女ともよろしくしたいもんだ。