分類
そんなに明確でなくていいと思うのですが、
自分自身はどうも違う意見らしく、上手くいかないわけです。
不愉快です。
当然、自分は他人ではあり得ないので、
いくら意見が違おうとも、気に食わない奴であろうとも、
「絶交だっ!!」なんてことはできないわけです。
ならば歩み寄ろうかなどと考えてみても、
どちらがどちらに歩み寄ればいいのか、
いやむしろ自分自身に歩み寄るなど意味の通じる表現であり得るか。
そもそも自身内で意見が食い違うという事態などあり得るのか。
…いやまあ現にあり得ているのだ。
それは葛藤などといった類の話ではない。
言うなれば、論理的思考と感情・感覚の違い。
そんな感じ。なんかニュアンス違いますが。
こういった部分に関する「適当さ」が欲しいです。
どう考えても過剰に線引きをしたがり過ぎている。
他の部分に関しては尋常じゃないくらいに適当なくせに、
変なところでやたらと明確にしたがる。
なんなんだ、こいつ。いや自分だけど。
タヌキは含んでいないとか、その段階でとんだタヌキ野郎だな。
非常に嫌いな類の人間だ。完全に。
時々、というか頻繁に周囲を試そうとするのも嫌いな所だ。
無意識的に、というか完全に意識的なのだけれど。
いや完全にではないのだけれども。
そしてこう伝わるか伝わらないかギリギリの書き方で、
わざわざ日記として付けているところも不愉快だ。
とか言いながら、この日記が存在しているということは、
そう思った後にも変わらず文章を打ち続けて、
「入力内容を確認する」のボタンを押して、
文章を確認した後に「作成する」のボタンを押した、という事実があるわけである。
それはまた非常に不愉快である。少し愉快になるくらいに。
なにがしたいのか。
あ、それがわからないのか。
いいな、「適当さ」。
あと「さりげなさ」とかも欲しいな。
他の部分に関する数々の「適当さ」とか、「無計画さ」とか、
内面的な「黒さ」、「口の悪さ」「押しつけがましさ」とか売るんで、
欲しい部分の「適当さ」と格好いい「さりげなさ」が欲しいです。
高いかな。
「黒さ」はなかなか高純度なので良い値で売れるかと。
需要が無いか。
ここまで書いて思ったのですが、
自分はいったいこの日記で何がしたいのかしら。
なんか飽きてきたし。思考の整理か。ただの記録か。
なんでもいいけど、
コメントしづらいことこの上ない日記ばかり書いているな。
この人は。いや、自身だけど。
反応にも困るだろうと思います。
自由と嘆かされている不自由も此処にある、んだと思います。