神か白痴か
悪か。
じゃあ、悪で。
ということで、どうせなるなら中途半端な悪ではなく、
高度かつ、純粋。柔軟かつ、堅固。遅寝かつ、早起き。
ハイクオリティーで、エコロジカル。シンプル イズ ベスト。
みたいな感じの悪者になろうと思います。悪人ではなく。
ニーチェが「人間とは悪である。」といったように、
人間なしには「悪」はなく、「悪」なしには人間は人間たりえない。
と、するならば、アダムとイブのあのエデンにも「悪」はあったのだろう。
正確には、あったが認識できていなかった。
逆に、現在は本来ないものを、わざわざ作り上げて見ている。
とも言える。
何が言いたいかというと、
現在の善悪の価値基準は、周囲の社会などの判断によるものだが、
社会自体は本来、個々人の主観の集合体で成り立っている。
つまり人間自身、自分自身を「悪」たらしめているのは、
他ならない人間であり、なにより自分自身である。
その「悪」からの脱却には、
認識を行わない「白痴」か、
全てを善として照らす「神」「聖人」になるしかない。
ならば、この「紫ジャージ」とともに、
内側に「悪」を抱いて、
より崇高なる「悪者」に………。
※ 決して普段の悪さを正当化するための言い訳ではありません。断じて!!