怠惰

怠惰な生活を送っている。別に最近とかじゃなくて自分は元来そんな生き物だけども。

自分でしっかりと自覚をしたうえで、自分の時間を浪費するというあり方はある種自傷行為に似ているのじゃないだろうかなと考えている。とは言っても僕はリストカッターな方々と違って自身の手首を切ったことはないからそういう気持ちはわからないし、自傷すると自称している方々だって理由や目的、考え方もそれぞれみんな違って多様だろうから一概には言えないけど。

じゃあ何をどう思って怠惰に時間を過ごすことと自傷行為が似ているとこの口は言うんだろうね。えっとね、あれだ、その辺言葉にして説明するのも面倒だから察してくれ。察せなかったらこいつ何言ってんだ阿保かと思っておいてくれ。

愚行権」という考え方がある。高校の倫理の授業で知っている人もいるんじゃないかな。

J.S.ミルが言ったものだ。ミルと言えば「満足した豚よりも不満足なソクラテスのほうが良い」という言葉で有名な彼である。個人的には満足した豚は間違いなく幸せだから俺はそれならそれでいいなぁとも思っている。関係ないけど。そもそもミル、お前には豚が満足してるかどうかわかるのか?ちょっと勝手に人間のほうが高等だとか思っちゃってんじゃないの?その時点で豚より上だと満足している豚はどちらかと言えばミルお前はなんじゃないの。比喩表現にグダグダいうもんじゃないよね。

愚行とはそのまま愚かな行為。愚行権とは愚かなことを行う権利ということなわけですが、この愚行権のいうところの愚かなことというのはあらゆる愚かなことを指すのではなく、「自分にとって不利益となる行為」を指す。そんなんする必要ある?誰がすんの?と思うかもしれないけど、案外みんなやる。ミルは自由を語るときにこの愚行権も「他人に迷惑をかけない範囲」であれば認めるのが本当の自由だと言っていた、はずである。よく覚えていないから間違ってたら申し訳ないけど。

厳密に言えば、己のいかなる行動も他人の迷惑にならないと言い切ることはできない、と僕は考えてるんだけど、その立場になるとどんな行動も出来なるからそれは一旦置いておくとして、愚行権の最たるものといえば何なのかと言うとおそらく自殺じゃないかなと思う。

他人に迷惑をかけず、自分にとって不利益であること。どんな形であれ死んだら方々に迷惑かかるわ!とか、自殺が自分にとって不利益でない場合だっていくらでもあるだろ!とか、そういういろいろ不確定な要素は無視しての回答だけど。

なんの話しようと思ったんだっけか。

そう、自傷行為もこの愚行に含まれるでしょうさ。

僕は自分の肩やら首やらを焼き切ったことしかなく、手首切る人の気持ちを正確には知れないから愚行と言い切れはしないけど、まぁ愚行でしょ。良い意味でも悪い意味でもなく、そのままの意味として。

僕はかつて愚行権が好きであったと共に愚行も好きだったので、わざと己でもって火傷してみたりジャガイモの芽を飲んで自分で毒の実験をしたりしていたんだけど、それは特に厭世からではなく興味からであって、でもそれは結局愚行であると思う。

怠惰に過ごす、というのもなかなかだ。ただ、怠惰に過ごすのは愚行ではないかもしれない。

そこに己に不利益があるという自覚がないと、愚行足りえない。

焦燥感といらだち、劣等感に包まれながら、それでも行動を起こさず、ただ怠惰に時間を過ごす。その意味、また無意味さ、戻らない限られた時間などをリアルに実感しながら、その場しのぎで曖昧な目的意識や適当なタスクを設定しそれを実行した気になる、もしくは無理やりな理由付けをして休むことを一時的に肯定する、結局どうしたって後悔するしかなく、それをわかっているのに怠惰に過ごす。これほどの愚行があるだろうか。自身には不利益しかない。精神的な自傷行為と言って良いんじゃないだろうか。

どういう人間がそんなことするんだろうね。

こういうなんの意味の無い日記を書くことに時間を割いて、その程度のことによって今日自分は何かしらしたなと自身を無理やり納得させつつ、実際何もしていないことは自分が一番よく知っているから芯のほうでは焦燥感に焦がれて干からびそうになっている、そんなゴミとして唾棄すべき人間がいるんだろうさ。